認知症の初期を発症している、母との日常を書いてます。
今朝の母はパンを焼き過ぎて少し削って食べました。
楽しいことばかりではありませんが、家族で工夫してストレスをかけない生活を目指してます。
母の生活はパターン化している
私の母の生活は大体、決まっています。
6:00 起床
朝食の準備
7:00 洗濯
NHKのドラマなど見ています
9:00 病院へ通院
11:00 昼の買い物
12:00 昼食
夕方の買い物までまったり
16:00 夕食の買い物
17:00 夕食の準備
就寝までまったり
21:00 就寝
以前は病院の時間やまったりの時間は家庭菜園に励んでいましたが腰を痛めてからすっかり熱が冷めてしまったようです。
春になったら一緒に簡単なものを作ろうかなと思ってます。
私がいない間は父とあまり会話してないようです。
日常であまり頭を使う時間が少ないと思うのすが、スドクなどやってほしいですが強制はできません。
うまくやる気がでるように誘導するテクニックは必要かなと思います。
お金のやりとりは必ず振込か誰かが見てる前で領収書もかいてもらおう
お給料をもらったら決まった金額を毎月母に渡しています。
以前はもらったもらわないということですごく揉めたのですが今は父のいる前で必ずお金を渡します。
証人みたいなものでしょうか..念のため受け取りのサインももらいます。
以前、お金を渡しててももらってないの一点張りでどうしょうもなく母に激しく罵られ鬱になったことからお金のやりとりはかなり慎重にやっています。
病気なので母は悪くないですが、その現場で嘘つきと言われたらかなり落ち込むました。
自分を守るために必ず家族の他の誰かがいる時か振込がいいと思います。
振込にすればお金がないのは降ろしたあとの本人の責任なので絶対文句を言われることはないでしょう。
認知症になるとお金に執着が強くなる
母はよく通帳、財布が無くなったと家で大騒ぎをしますが、絶対に自分がどこかに置いてみつからないことを認めません。
父が紛失物がなくなるのは自分自身が原因だと認めさせようとして母がキレるパターンが毎回でした。
母は絶対自分のせいと認めません。
誰かが隠したと思ってしまうようです。
父が隠したと言っていたこともありました。
それを言われた時の父のショックは相当なものでした。
軽い鬱症状になりました。
とても、悲しいですが認知症は他人を犯人したてあげる妄想が入る病気です。
わかっていても言われた当事者は怒り、悲しみ怒ってしまうのです。
いくら病気とわかっていても割り切れないのが人間の気持ちなのですね。
大体なくなるものは、通帳、財布、保険証です。
あと母はこれらを一つのポーチにいれて持ち歩くこともたびたびあります。
持ち歩くことで紛失のリスクが高まるのにもってないと安心できないと思うようです。
家に置いておくと誰かが盗むという妄想もあるようで気が付く度に注意しますが、なかなかそれをやめることは難しいようです。
専用の金庫を買って渡しても入っていたものがなくなっていたと平気でいわれたときは、いくら好きな母でも呆れてしばらく話をするのも嫌になった記憶があります。
貴重品の紛失の買いするを減らすように工夫するのが今後の私たちの課題と言えるでしょう。
子供のようになっている母
母の好物を買って持って買ったときの母の喜びようはすごかったです。
また喜怒哀楽がはっきりあるのが脳が活性化してるのかなと、すこし嬉しくなりますが
すこし子供返りしてるような気もします。
しっかり者の母が子供返りしているのを父は落胆してしまいます。
たしかに完璧な主婦の母が認知症の症状が出てきたのは本当にショックでした。
しかし落胆ばかりしていられないのです。
今は母は介護というものはあまり必要しています。
トイレも風呂も着替えも一人でできますし、料理の味付けも以前と同じでとても美味しいです。
洗濯もできます。掃除もちゃんとしてます。
昔より片付けが苦手になっているような気がしますがゴミ屋敷になるようなことはないレベルです。
悲観ばかりせず、今の状態が1日でも長くなるようにすることが私と父の願いです。
怒るとストレスをかけるので状態が悪化すれば結局しんどくなるのは私と父だとわかりました。
最近は大抵のことはイラつかなくて済むようになったと思います。
母から学んだことは怒りからは何も良いことは起らないということでしょうか?
それでも湧き上がる怒りをコントロールするのは難しいです。
人生一生修行なのだと思います。
そんこと教えてくれた母に感謝しなくてはいけないのかもしれないですね
家族みんなの幸せ目指してがんばります