母が認知症の初期だとわかったのは、つい最近の事です。
よく物が無くなったと大騒ぎをしておりましたが
父が隠したといい始めた時、認知症かもと思うようになりました。
しかし、本人に認証かもしれないので病院にいこうといった時の母の拒絶はすさまじいものでした。
しかし、どんどん忘れることが多く、とうとう本人も病院に行く気になりました。
母は私と父にはとても意地悪です。物を取った犯人にされたり、すさまじく意地悪です。
母が認知症になりこれからどう向き合うか前向きに考えられた方法です。
目次
私にだけご飯を作りたくない母
母は長年主婦でした。(生活の為に長い間パートには行っていた)
料理の腕はすばらしく、何を食べても本当に美味しかったです。
父は若干アルコール依存症ぽく母の料理を褒めたこともありませんし言葉のDVとかはたくさんあったと思います。
無口な父は文句をいうときだけ母にいろいろ言っていたように思います。
そんなこんなでも50年ほど主婦として私たちにご飯を作ってうれました。
ところが、ある日私が仕事に行く前に起きて朝ご飯を食べようと席に着くと私の分だけ用意されてないんです。
私の朝ご飯はと聞くと
「あなたは、もう自分で全部用意するから、もうご飯は一切いらないと」言ったじゃないと言うのです。
そんなことは一言も言ってない…
昨日は夜は友達とご飯食べるから用意しなくて良いですよと言っただけでした。
正直、ショックと怒りと悲しさが溢れ
私に対する意地悪なんだろうと思いました。
私はそんなことは言ってない。私の分だけ用意しないなんて意地悪でしかないと言いました。(怒りで声は荒げていた)
兄と家を出ていきたいと言う母
癇癪をおこした私ともう暮らしていきたくないと母が父にいったそうです。
兄もうつ病で私と暮らしていたくないと便乗して二人は長年住んだ家を出ることになりました。
父が言うには父と私には母と兄にとってはプレッシャーがかかるというので夫婦別になるが別居したほうがお互いの為になるとのことです。
正直、この数年うつ病で働かない兄を見ていてイライラして自分自身のメンタルもやられてしまい、二人が出ていき距離をとって付き合いしたほうが父と私の心の平安が訪れるように思え、この別居案を容認しました。
別居して平安が訪れる
泥棒扱いされたり、意地悪されるとその人が認知症だと分かっていても一緒に暮らすのは辛いです。
感情にまかせて怒ったりしたことを自分自身、責めたりしてだんだんメンタルもやられてきてしまいます。
私たちは別居することにより距離を離すことによりお互いの平安を得ました。
今後、母の認知症が進むと普通に暮らすことも難しくなりますが父は迷わずもしそうなったら施設にいれると断言しました。
父の姉の叔母も認知症で施設に入り叔母の家族も相当苦しみ施設に入れることで心も平安を得たことしっているからです。
家族だから認知症の家族をみるとあきらかに衰えたその人を見るのが辛くできたことができなくなると責めてしまうからです。
中年と老人の父子家庭の奮闘
母と兄が出ていき火事の分担がどうするかになりました。
とにかくお互いの予定を伝えてできるときにやれるものがするというゆるいルールができました。
ご飯はスーパーの半額を狙って買う。
洗濯は朝私がして干して夕方父が取り入れる。
ネット通販の受け取り時間を指定する。
掃除は掃除ロボットを購入予定で普段の掃除はロボットにさせる
余裕があるなら定期的にダスキンの掃除のサービスを取り入れようかと考え中
ゴミ捨ては朝余裕があるときは私がしますし父も捨てにいってくれるので助かります。
まとめ
家族はいつも一緒にいなくてはいけないという思い込みがお互いを傷つけ皆が辛い思いをしました。
それぞれが少し距離をとってうまくやっていけるなら別居もありだと思います。
離れて住んでも私たちが家族であることには変わりなく、これから家族全員が平穏に暮らしてけることを祈るばかりです。
中年と老人の父子家庭奮闘記のはじまりです。